こんばんはー、いや、こんにちは、かな?
卒論進んでいます、年末から地味に進めていた結果、現在全然焦っていません(笑)
そろそろ発表会のスライド作り始めます。土日は家にこもって、カタカタと。8時間近く浮くはずだから、はかどるはずなんだけどな……。

早村さまの記事を読んで、思い出して、ちょっとまとめておこうかなと思ったので、つらつらと書かせていただきます、実際に直面した死について。
暗いし、ものすごく長いし、つらつらで、メモもいい所ですので。

結果はそこにつながった感じでした。勉強もっとします。





最初に直面したのは、母方の祖母の死なのでしょうか、2歳くらいだったため、ほぼ覚えていないので、ここはスルーで。

そこから言うと、たぶん最初は中1のペットの犬の死。
朝起きたら、泣き声が聞こえてきて、リビングに行ってみると、そこにはまるまるとした犬がピクリとも動かなくなっていた。触っても動かない。いつも威嚇してくるのに、何も動かない。
寂しくなって、ぐずぐず泣いて、学校に行っても思い出したら泣いてしまいました。
これが死の別れなんだと実感した時でした。

 * * *

それから2か月後に父方の祖母が亡くなった。我が家の犬をよく可愛がっていて、ペットが亡くなったことは入院中だったため伏せていたのですが、何となく気づいていたのか、それとも犬が祖母をあの世へ連れて行ってしまったのかはわかりませんが、とにかく犬の死からあまり日も置かずに逝ってしまいました。

葬式の時は……泣きませんでした、不謹慎な孫ですみません。悪くなっているのはわかっていたので、意外に受け入れは早くて。むしろ会ったことのない親戚や、いとこもほとんど会っていなかったので、そっちに気を取られていたというのが正直な話か……、本当に不謹慎。
死というものがよくわかっていなかったことにしよう。葬式とかも、記憶の限りでは初めてでしたからね。

一番胸がぎゅっと来たのは、塾の帰りに父に連れられて、病院に行ったとき。今夜が山だと言われたらしく、心配な面持ちで行った記憶があります。
……呼吸器でどうにか命を繋げられている姿、苦しそうにしている姿を皆で沈痛な面持ちで見ているのを目の当たりにしたとき、泣きそうになりました。

あんな姿を見たくなかったというのが本音か。だから葬式等で綺麗な姿を見たときは、そこまで思わなかったのかもしれない。

 * * *

そして最後は昨年の祖父の死……と言いたいのですが、その前にもう一つあるのです。

それは友人の死でした。

中学は塾がずっと同じクラスで苦楽を共にし、高校も1度だけ同じクラスで割と接点はある友達でした。高校ではそこまで会ったら挨拶する程度だったので、予備校生になった直後に聞かされた時は、意外に冷静でした。むしろ教えてくれた友達が、彼女と親しかったので、すごく泣いていたのが印象に残っています。
衝撃はありましたが割と冷静だったので、高校の時のクラス代表に連絡して、連絡網等を駆使して知らせるようにお願いしました。

手術中または後の死だったらしく、手術すれば治るはずだったけど、何かあって間に合わなかったのかな?
身近な人でそういう人がでてしまったというのは、衝撃的でした。
頭もよくて、明るくて、周りから好かれる子だったのに、どうして彼女が、とも思いました。
通夜に参加して、中学の友達に会ったりしました。小さなところで、たくさん人が並んでいました。そこで彼女の遺影の下に、色々と好きなものが置かれていました。ハリポタが好きだったので、そのDVDとかも。今でもたまにですが、ハリポタを見るたびに、彼女の死を思い出してしまいます。

その通夜を通じて感じたことは、その後の小説の内容にも影響しました。
虹色のカケラです。
私は当初、ある人物は殺される予定だったのですが、どうもその死が影響したらしく、できませんでした。
むやみに殺してはいけない。小説であっても、人の死は死。
先がある若者を尊い礎となるために、殺されるなんて――。

たまに思いだす彼女の存在。
その人が亡くなってしまうことによって、あとに残るのは人々の記憶だけ。
そう、つくづくと思いました。

* * *

そうして、昨夏の祖父が亡くなりました。

私の祖父はあまりに絶妙過ぎるタイミングで逝ってしまい、それこそ物語として書けるだろうという勢いでした。まるで皆の予定、特に私の予定でもわかっていたような日の選びから。
1日早くても遅くても、1週間早くても遅くても、どちらにしても予定に支障が出る。院試だけでなく、試合も詰め込んでいて、私が出ないと棄権になる試合もあったので、どうにか夏は超えて欲しいなと、勝手に願っていましたが、まさか負けて応援に回る朝に亡くなってしまうとは予想外でしたが。
最後に会ったのも、試合で負けて早く帰ってきた翌日。残って応援とかしたい気持ちもあったけど、帰らないといけないかな……と思い。
初めて全国大会に出たんだよとか、お土産のういろうを見せてご報告。最後にまた来るねって言ったのにねえ……。

呼び出されて病室に入ろうとしたけど、父が先に入って、泣いているのを聞いて、堪え切れなくなりました。葬式でも堪えているのが、背中や声からも伝わってきて、これから父は大丈夫なのだろうかと心配していました。
1時間後、綺麗な顔を見てから、私は帰宅。病院にいてもやることはないし、応援に行かないのは祖父も望んでいないと言われ、家で時間までぐずぐず泣きながら、予定通りに行動しました。
院試もほぼ受かるとはいえ、万が一のことがあったら馬鹿にならないので、気を引き締めていきました。直接合格を言えなかったのが、少し悔やまれましたね。

通夜の前に、祖父の旅立ちの支度を手伝いで足袋とかを履かせたり、気を紛らわすために話をよく聞いていたとか。そうしないとすぐに涙腺が緩んでしまう。一番親しくしていた祖父だったから。
すべてのことに意味はあるかなと、無駄に思ったりしました。

葬式の日は、いい天気でしたね。からっとした夏の晴天。おじいちゃんみたいだと、周りの人も言っていました。
父が一番おじいちゃん子だったので、すごく涙を堪えている姿が見ていて辛かった。出棺の直前に「ありがとう、おじいちゃん」なんて涙声で言うものだから、抑えていた感情が出てきてしまうじゃないか。

たぶん今までの死の中で、一番ぐずぐず泣いている時間は長かった。
ハンカチが真の力を発揮もした。

けどいつまでもぐずついているわけは行かない。

食事の席で、祖父と親しかった人が、祖父からの夢の話を聞いたらしい。
「孫がノーベル賞を取る夢」を。
だ……誰ですか!?
もしかして私が第一候補!? そりゃ、医者の人はいるけど、未だに学問を続けているのは私だけですが……。

なんだかんだ言って、勉強のことは好きなじい様で、よく勉強しているか?とか会うたびに言われていました。卓球し過ぎるなよとかも……。
そういえば大学の入学式に来たんだっけ。車で2時間かかるのにー!

――死者はもう戻ってこない。
大事なのは残っている側がどう死者の気持ちを受け止め、生かすのか。

あんなにも気にかけてくれて、私大の入学捨て金まで出してくれた。そんな祖父に何かをするとしたら――学生のうちぐらいしっかりと勉強することなのかな。
周りに流されず、自分の意思を持って、勉強し続ける。院だって、過ごし方次第でどうにでも転ぶけど、こんなにも私をバックアップしてくれる人がいるのなら、勉強で頑張らなければいけないね……と思うのです。


ということで、周りに流されず(どうも研究室内がストイックな人少な過ぎて……)、頑張ります。

以上、長々と失礼しました。

スポンサーサイト

オフ会レポ@神戸(前)

「言葉の響応者」連載開始

comment iconコメント ( 0 )

コメントの投稿





trackback iconトラックバック ( 0 )

Trackback URL:

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)